生成AIでソフトウェア開発がなくなるというよりは、一人で出来る範囲と量が増えるので、一つのソフトウェアを作るための人数が今よりも全然少なくて済むようになる、という感じなのでは。
(これは過去の技術革新で起きてきたことでもある)
先日、400人が投入されている大規模開発プロジェクトを目の当たりにしたが、ああいうのこそ、10分の1の人数で解決できそうだし、解決できるという世界にしていきたい。
「立派な会社のシステムは、多人数でないと作れない」というのは思い込みだと思っている。
以前から言い続けてきたが、ソフトウェア開発は「人数」ではなく「難易度」の問題である。同じ人数で良いが、熟練度の違う人材を集めた方が良い。
巨大なシステムは難易度が高く、熟練の人材が必要で、小さなシステムは難易度が低いので、経験の浅い人材でも出来る。
同じソフトウェアをつくるのに、「熟練の3人」と「初心者の30人」、どちらが速く・良いものを作ることができるのか。リアリティーあるのは、その両者を混ぜた体制だが、それでも「熟練の3人」が勝る。
人数は多くしない方が生産性は高い。
人が増えても速くならない。これは今も昔も変わらない真理。
人海戦術から解放されるなら、エンジニアは少ない人数で全体を把握し、ユーザーに近いところで、分業せずに「自分の作品」として作れるようになる。これこそがソフトウェア開発の楽しさであり、エンジニアにとっての「福音」ではないか。
生成AIで、コードを書くことがなくなって寂しいというのは本当か?タイピングしたかったのか。しょうもないバグを修正したかったのか。本当にしたかったのは、優れたソフトウェアを生み出して、ユーザに喜んでもらうことだったのではないか。
そもそも、ソフトウェア開発をハードウェアの生産ラインのように「工場」として扱おうとしたのが間違いだったのだ。ソフトウェア開発は、作品作りであり、取り組むこと自体にも喜びのある技芸に回帰していきたい。それが仕事技芸論なのだ。
一つのソフトウェアを作るのに必要な人材は少なくなっても、社会から求められるソフトウェアの総数は、これまで以上に増えていく。それは生成AIとかでてくる以前から言われていることだ。
これからの開発者(エンジニア)には、求められることは増えていくし、難易度は高まっていく。プロとして求められる基準は、ぐっと上がっていく。スクール出て、プログラミング言語が使える位ではプロにはならない。
だけど、その方が健全なんだと思う。そして難しい仕事はなくならない。
だからこそ、より難しいことに挑戦し、より高みを目指していくような開発者になりたい若者たちは応援したいし、サポートしていきたい。人数は多くなくても良い。ソニックガーデンで取り組んでいる活動の芯にはこれがある。
ソフトウェア開発は、少ない人数で、より多くの価値を、より楽しく生み出せるようになる。それは社会全体にとっても、素晴らしいことではないかな。
